『万葉集』中、ユリをよむ歌 
 

→ユリ


長歌

 おほきみの とほのみかど(朝廷)と ま(任)きたまふ 官(つかさ)のまにま
 みゆきふる こし
(越)にくたり来 あらたまの としの五年
 しきたへの 手枕まかず ひも
(紐)とかず まろ宿(ね)をすれば
 いぶせみと 情
(こころ)なぐさに なでしこを や戸(宿)にま(蒔)きおほし
 夏のの
(野)のさゆりひきうゑて 開く花を いで見るごとに
 なでしこが そのはなづま
(花妻)に さゆり花 ゆり(後)もあはむと
 なぐさむる こころしなくは あまさかる ひな
(鄙)に一日も あるべくもあれや
   反歌
 なでしこが 花見るごとに をとめらが ゑまひのにほひ おもほゆるかも
 さゆり花 ゆりも相はむと したは
(下延)ふる こころしなくは 今日もへ(経)めやも
     
 (18/4113;4114;4115,大伴家持「庭の中の花に歌を作る一首」)

 おほきみの まき
(任)のまにまに と(執)りもちて つかふるくにの ・・・
 ねもころに おもひむすぼれ なげきつつ あ
(吾)がま(待)つ君が
 こと
(事)をはり かへ(帰)りまかりて
 夏の野の さゆりのはなに 花咲みに にふぶにゑみて あ
(逢)はしたる 今日をはじめて
 鏡なす か
(斯)くしつね(常)見む おもがは(面変)りせず
     
(18/4116,大伴家持。帰京の宴にて)
 


短歌

 吾妹児(わぎもこ)が 家の垣内(かきつ)の さゆり花
   ゆり
(後)とし云はば 不欲(いな)とふに似む (8/1503,紀豊河)
 路の辺の 草深百合の 後
(ゆり)にと云ふ 妹が命を 我知らめやも (11/2467,読人知らず)
 道の辺の 草深ゆりの 花咲
(えみ)に 咲みしがからに 妻といふべしや
      
(7/1257,読人知らず)

 (天平感宝元年(749)五月)同月九日、諸僚、少目秦伊美吉石竹(はだのいみきいわたけ)の館に会(つど)ひて飲宴す。時に、主人、白合(百合,ゆり)花縵(蘰,かづら)三枚を造り、豆器(づき)に畳(かさ)ね置きて、賓客に捧げ贈る。各此の縵を賦して作る。三首。
   あぶら火の ひかり(光)に見ゆる わがかづら
     さゆりのはな
(花)の ゑ(笑)まはしきかも 
       右一首、守大伴宿禰家持。
   ともし火の ひかりに見ゆる さゆりばな
     ゆり
(後)もあ(逢)はむと おも(思)ひそめてき 
       右一首、介内蔵伊美吉縄麿(すけくらのいみきなはまろ)
   さゆりばな ゆりもあはむと おもへこそ
     いま
(今)のまさかも うるはしみすれ
       右一首、大伴宿禰家持、和。 (18/4086;4087;4088)

 つくばね(筑波嶺)の さゆる(さ百合)のはな(花)の ゆどこ(夜床)にも
   かな
(愛)しけいも(妹)そ ひる(昼)もかなしけ (20/4369,上丁大舎人部千文)
 
 『万葉集』に歌われているゆり・さゆりの正体について:
 一説に、『万葉集』に、ヤマユリまたはササユリであろうといい、「つくばね
(筑波嶺)のさゆる(さ百合)のはな(花)」は、産地から見てヤマユリであろう、と(松田修)
 一説に、ヤマユリは『万葉集』にはまったく関係がない、『万葉集』のゆりは主としてササユリオニユリヒメユリであり、コオニユリも候補であろう、と
(牧野富太郎)



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